樹病研究100年間のエポック


森林総合研究所理事長 鈴木 和夫



 樹木の病気について、わが国で病気と病原との因果関係が最初に論ぜられたのは明治中頃の「樹木ノ病ヲ医スル法ヲ問フ」(大日本山林会報、1882年)で、科学的論文としては「あをきつばきやぶにっけいの葉に黒き斑点を形成する菌の形態の比較及び其発生」(植物学雑誌、1888年)という樹木のすす病についての報告であった。
 明治期における樹木病害の研究は病原学的研究が主であり、主要な論文として「桜樹ノ天狗巣ニ就テ」(白井光太郎、1895年)、「本邦産松属ニ生スル木癭m原因ヲナス病菌ノ説」(白井光太郎、1899年)、「桐樹天狗巣病(桐樹萎縮病)原論」(川上滝弥、1902年)などがある。これらの論文は、いずれも社会的にも学問的にも優れた研究論文であって、現在も示唆に富む点が少なくないので、若干触れてみたい。
 「桜樹ノ天狗巣ニ就テ」はサクラてんぐ巣病についてであり、明治初年には東京隅田川堤上のサクラにてんぐ巣病が蔓延した。「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」の諺があるように、サクラは材質腐朽に対して著しく弱く、罹病枝を切除すると速やかに腐朽することから、その防除が効果的に行われるためには切り口の癒合を促進する新しい殺菌剤の開発を待たなければならなかった。
 「本邦産松属ニ生スル木癭m原因ヲナス病菌ノ説」はマツこぶ病についてであり、ナラ・カシ類を中間宿主とするさび病菌(pine-oak rust)によって生ずるこぶ病である。この論文は、わが国で最初にさび病菌の異種寄生性を明らかにしたもので、白井は「東京西ヶ原の植木屋がマツから採取したさび胞子を接種してこぶの多い鉢植えのマツを自由に作る」という話を聞いて、異種寄生性を否定する噂に強い関心を示したとされる。北米で林業上最も重要な病気の一つであるマツこぶ病は、中間宿主を必要としない同種寄生性のさび病菌(pine-pine rust)である。さび病菌の種の概念には、形態的な性質のみならず宿主関係と生活史をともに考慮する必要があり、現在もわが国と欧米とのさび病菌についての関連性が検討されている。
 「桐樹天狗巣病(桐樹萎縮病)原論」は、キリてんぐ巣病についてであり、キリは桐箪笥に代表されるように、林業上特用樹種として経済的価値が高く、栽培上の最大の課題はてんぐ巣病と腐らん病とされる。本病の病原は腐生的で潜在感染性が髙い炭疽病菌とされたが再現性に乏しく、その後、新病原であるファイトプラズマ(後述)によって引き起こされることが世界に先駆けてわが国で明らかにされた(1967年)。
 わが国の森林・林業における主要な病害は、1)明治末年に発生して瞬く間に全国に蔓延したスギ赤枯病、2)1960年代のカラマツ拡大造林の成否を左右するといわれたカラマツ先枯病、3)1970年代以降社会的な問題となったマツ材線虫病であり、これらの中で最大のエポックは、社会的にも学問的にも世界の注目を集めた材線虫病に関する最初の論文である。
清原友也・徳重陽山:マツ生立木に対する線虫Bursaphelenchus sp.の接種試験(日林誌53、210-218、1971)(関連論文、徳重陽山・清原友也:マツ枯死木中に生息する線虫Bursaphelenchus sp.、日林誌51、193-195、1969)
 研究の背景:わが国のマツ(以下、アカマツ・クロマツを指す)の集団的な枯死は、明治38・39年に長崎市内で初めて記録されて以降各地に蔓延し、被害が顕在化するにつれて松くい虫被害(昭和22年頃)と呼ばれるようになった。その後、わが国の森林資源の維持や国土保全の面から見過ごすことができなくなり、「松くい虫等その他の病害虫の駆除予防に関する法律」(昭和25年)が制定された(現、森林病害虫等防除法)。枯れたマツの枝や幹の樹皮下には例外なく松くい虫(マツの枯損原因とされてきた穿孔性甲虫類約70種の総称)が多数生息していることから、松くい虫がマツを枯らすと言われて何人もこれを疑うことがなかった。松くい虫被害は、当時、西日本の最大の病虫害であったが、これまでとられてきた防除法では極めて不満足な効果しかあがっていないとの判断から、農林省農林水産技術会議特別研究「松くい虫によるマツ類の枯損防止に関する研究」(1968年~1971年)が取り組まれた。この研究の主な目的は、松くい虫加害におけるマツ側の条件とその原因を明らかにすることであり、昆虫学のほか、樹病学、菌学、樹木生理学、土壌学、気象学、木材化学などの関連する学問分野を網羅して共同研究体制がとられた。本論文はこのような状況下で取り組まれた研究であった。

論文の要旨:マツ枯死木から分離された線虫をマツ生立木に接種してその影響を調べた。
材料と方法:1)供試林分と供試木、2)接種用線虫の分離・培養、3)接種源と接種方法、4)接種木の樹脂調査と肉眼観察、5)接種木からの線虫再分離
実験結果:接種線虫数を600、30,000、1,500,000として、それぞれアカマツ(平均樹高4.7m)5本に接種した結果、0本、3本、2本が枯死し、供試線虫の病原性が明らかにされた。
発想の転換:長い間、松くい虫がマツを枯らすと信じられてきたこれまでの見解は、本論文によって根本から覆された。従来、マツ枯れの原因は、マツの枯死が老齢木に現れたことから、松くい虫は衰弱木を枯らすとする二次的害虫説であった。その後、幼齢木にも集団的な枯死が引き起こされることから、二次的害虫から健全木をも攻撃する一次害虫に変わったのだと解釈された。マツの枯死原因としては、生物的要因としてナラタケ・ツチクラゲ・アミロステリウムなどの菌類によるものが知られており、非生物的要因として亜硫酸ガスなどの大気汚染による被害がある。しかし、材線虫病に見られるように2~3年生葉の急激な黄化という特異的な病徴を示す病気は他にはない。

 線虫の接種試験が行われた背景には、樹病(植物病理学)の分野では、病気が特定の微生物によって引き起こされることを証明するためには、罹病部から微生物が分離され、純粋培養され、分離・培養された微生物を健全な植物に接種した場合には全く同じ病気が引き起こされなければならない、とする病原性決定の原則(コッホの原則)があり、この原則に従って取り組まれたのである。しかし、当時、わが国の線虫学の権威であった一戸稔博士(農業技術研究所)は、「線虫がマツ生立木枯死の原因らしいと林業試験場の清原氏から知らせを受けて、最初はどうしても信じられなかった。それは、この線虫はいずれも寄生性が微弱であるというのが世界的にみて線虫学の通説になっているからである。自分がこの線虫を見いだしたとしても、寄生性がないものとして、最初からおそらく一顧だにしないで捨て去っていたであろう」と述懐している。当時、林業試験場には線虫学の専門家(大家)がいなかったことも幸いしたと思われるが、敢えて既成概念に異を唱えて病原性決定の原則に立ち返った取り組みは、その後の世界の線虫学のテキストを書き換える契機となった。その後の研究から、材線虫は北米に起源をもち明治期にわが国に渡来したことが明らかにされて、わが国をはじめ東アジアで猛威をふるい、現在ヨーロッパの一部にまで蔓延して北半球のマツ林の最大の脅威となっている。
 このように、同一学問領域における垂直的な思考による研究の取り組みは時として思考を狭隘化させるため、関連学問領域との水平的な連携によって先入観のない思考が引き出される契機となることがある。獣医病理学では一般的な病原菌であるマイコプラズマが、植物病理学では新病原(マイコプラズマ様微生物、後に植物病原性のものをファイトプラズマとよぶ)であったという世紀の大発見に繫ェったことも、共同施設であった電子顕微鏡室で隣席の電子顕微鏡像を覗いたこと(キリてんぐ巣病の顕微鏡像が動物のマイコプラズマと類似していた)に端を発していたことと通じるものがある。

参考文献
伊藤一雄:松くい虫の謎を解く、162 pp.、農林出版、1970
鈴木和夫:樹木医学、325 pp.、朝倉書店、1999
鈴木和夫:森林保護学、299 pp.、朝倉書店、2004


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