知の建築への情熱:その光と影


大日本山林会 箕輪 光博



三人の先達

 一昨年、二人の先達が相次いで幽明境入りした。その名は、平田種男と北村昌美である。その約10年前に、もう一人の先達ビッターリッヒが99歳でこの世を去っている。一時代が終わったという感慨を持つのは私一人ではなかろう。そこで、本稿では、まず、平田、北村二人の「知の建築物」構築の歩みを簡単に回想することから始めたい。 

 「ある日の午後、ふと妄想が来た」という書き出しで始まる平田種男先達の平田法案出(平均樹高推定法、1955年)の経緯はまことに感動的である。ビッターリッヒ法を垂直(縦)方向に展開させた瞬間である。それからの5年間、氏は平田法の林分材積推定への応用や精度の研究にすべての情熱を傾けた。後に、新たな知見を五つ得た、本当に充実した5年間であったと述懐している。筆者は、たまたま、後年、平田法の応用に関わる研究に携わることになるが、とにもかくにも、先生との出会いは僥倖と言う他はない。

 他方、北村昌美大先達は、ある日、凡庸な会議の席で、「ふと外を眺めていた」ときに、ビッターリッヒの林分区分求積法(高さ方向の各林分断面積合計をもとめるために一致高を間接的に利用する。一致高は脇役!)を、それとは全く逆に、「一致高和」そのものから直接に林分材積を求める着想(一致高は主役に!、林分材積推定法、1962)を得たという。「一致高和の世界」が花開いた瞬間である。氏も同様に、その後、北村法の応用や精度の研究に若き日の情熱を傾けていく。筆者はここでも、たまたま、後年、北村法と双対的関係(三つの対応:点と線、水平方向と垂直方向、一致高と切断径、)に立つ林分材積推定法の考案に関わることになるが、それを通じての北村先生との手紙のやりとりは十数通にのぼり、多くの教訓を頂いた。

 両者はその後、それぞれ、新たに、林業経営原論の世界、森林文化論の世界を構築していくことになるが、そこに共通して見られるのが「天啓」という閃きであり、さらに、その天啓を促した時代背景の存在である。そもそも、ビッターリッヒという一人の天才が、1908年、オーストリアのザルツブルクに生まれ、1947年にビッターリッヒ法を案出することがなかったならば、平田・北村両先生の人生も大きく変わっていたに違いない。

 ここで、両者の研究に関連して当時の時代背景の一端を振り返ってみると、戦後の特徴の一つとして、推測統計学が色々な分野に大々的に取り入れられたということがまず挙げられる。観測データ(標本)の平均と分散から、母集団の母数を推定するという画期的な考え方は、当然のことながらビッターリッヒ法の応用、普及にも大きな影響を与えた。それは、上述の平田・北村両先生の仕事にも如実に表れている。もう一つの特徴は、戦後の「経済成長」、「経営の近代化」の風潮の中で、それまでの森林経営(主として立木の育成)が、林業経営(主として丸太の生産)として市場経済に即応した近代化を要請されていたということである。

 そのような背景の下で、平田先生は、経営の生産力や資本概念を論理的に掴むために、「森林生産力資本説」(1965年)を発表し、その卓抜な着想は後年、要素論的な価値観を内包する土地純収益説を批判すると共に、森林純収益説を包摂する「林業経営原論」として体系化されることになる。さらに、時代が進むと、世は次第に経済オンリーの時代から文化を内包する時代へと変容していくが、そのような流れの中で、ドイツの現場での森づくりを目の当たりにしたとき、北村先生の心に「森林施業は文化である」という天啓が閃くことになる。この着想は、単行本『森林と文化』として世に名を馳せることになる。

第一の知の近代化

 次に、さらに時代を遡って、明治から大正期にかけての森林経理論に言及しておきたい。当時、森林経理の分野で理論的柱となっていたのは林分経済法をベースとするユーダイヒの森林経理学で、先学志賀泰山、右田半四郎、植村恒三郎先生等は情熱を傾けて若い人たちにそのすばらしさを語った。林分経済法は、「土地純収益説」と「指率」の概念を柱としている。前者は伐期毎の土地純収益(主伐収益から利子率pの機会費用:複利合計額を差し引いたもの)の割引現在価を土地資本とみなす一種の「土地還元説」であり、後者は指率と利率pと比較することにより林分の経済的成熟期を論ずるいわば「利子率還元説」である。いずれも、森林を「林分という要素」に還元すると共に、「自然価値の世界」を「経済価値の世界」から、あるいは「自然成長の世界を」を「マネー増殖の世界」から視る論理的構成になっている。それ故、森林純収益論者の側からその還元的性格を批判されることになる。筆者は、森林施業の世界を経済の世界・要素論の世界に引っ張り出したという意味で、この「知の建築物」を森林経理における「第一の知の近代化」と呼んでいる。土地純収益説と森林純収益説の間の論争は150年以上にわたって続いており、未だに決着がついていない。

第二の知の近代化

 他方、筆者が「第二の知の近代化」と呼ぶ斬新な二つの理論が戦後の森林経理の世界に登場する。

 1960年代は、わが国の高度経済成長期にあたり、各産業分野で資源量や生産力の予測が大きな政策課題となっていた。そのような背景の下で、「木材の生産予測について」と題する報告書が、科学技術庁資源局から昭和36年の2月に出され、そのまえがきで次のような抱負が述べられている。

 「今回の研究のような、多数の経営主体を包含する民有林の生産予測などには、この方法(筆者註:古典森林経理学の収穫予定法)は殆んど適用困難であった。吾々はこれに対して新しく減反率法を用意した。それは古くからある面積平分法の精神の分析から出発したものであり、林分更新の構造を抽象したものであって、・・・・」

 この引用文の内容から、この報告書の著者は、もう一人の先達、減反率法・林齢空間論の創始者・鈴木太七先生である。「広義の法正林」という「知の建築物」が誕生した瞬間である。この理論では、森林はある確率法則の下で伐採・植栽を繰り返す「林分の集合体」とみなされ、任意の初期齢級状態から出発して究極的には広義の法正状態に収束することが証明されている。この鈴木の広義の法正状態は、偶然にも、20世紀のはじめドイツに登場した「融通性作業級」の齢級構成と形状は同じである。森林を要素:林分の集合体とみなし、それに減反率qを付与し、その実現値標本(伐採令の平均、分散)から母数を推定する帰納・演繹の方法は、当時の推測統計の論理と相同であり、これは、第二の知の近代化と呼ぶに相応しい。

 他方、同じ頃、前述の平田教授は、林業経営の「森林の伐採即更新」データ(具体的には、丸太の連年生産量v、連年更新面積fの平均値)から「森林生産力」を推定する林業経営論を展開するに至る。この場合も、年々の森林経営の営為:伐採即更新データを標本とみなし、その情報から資本を推定し、林業経営の利益率の計算や丸太価格の計算に及んでおり、それは帰納的・演繹的である。さらに、鈴木・平田の両者に共通する点は、前者が従来の法正林を超越した新世界、後者が森林純収益説を内包する新世界の構築に成功していることであり、平田の林業経営論も「第二の知の近代化」の一例と言っても過言ではなかろう。

国有林経営における近代化

 次に、視点を変えて、森林経営の実践面における変容を、「経営における近代化」という観点から振り返っておきたい。

 国有林は、戦前、資源政策を背景に、「保続価値」の実現を掲げて、森林経営及び組織整備の両面で「内部への制度化」を推し進めてきたが、戦後は、林政統一、特別会計制度の創設を皮切りに、新しい「価値実現」に向けての様々な制度化が進められていく。当時は、森林資源問題、木材需要対策、経営の近代化が緊急課題となっており、まずは産業経済政策の観点から、資源の新たな開発(奥地林、未開発林の利用)、新技術の創出(品種改良、伐出技術の開発、統計的森林調査法の導入など)、生産力の増強への模索が精力的に展開される。その過程で、森林施業や森林経営に対する「近代化」が過度に要請され、作業級から施業団、さらには経営計画区へと施業や保続の単位が拡大されていく。それに対応して作業級と結びついていた輪伐期という循環概念も否定され、代わって、時代に即応した「平均伐期令」や標本抽出法などの融通性を備えた近代的な統計概念が施業の現場に導入されていく。同時に、計画の力点が、資源政策次元の施業計画から産業政策次元の経済計画に移り、その間を取り持つ経営単位として新たに「経営計画区」(全国100個)が設けられことになる。この単位は、営林局より小さく、また営林署よりは大きい、いくつかの施業団を部分的に内包する単位であり、資源政策と産業政策を結ぶ林業政策上の結節点でもあった。このような融通無碍の空間単位を介して、広大な奥地天然林の大々的な開発に立脚する生産力増強・木材増産政策が断行されていったのである。

蛇足

 「知の建築物」、「知の近代化」などと表現すると、いかにも気障に聞こえるかも知れない。しかも、ここで取り上げた例はほんのわずかである。その意味で、本稿は、はじめから独りよがりの論考となっている。加えて、筆者の力不足のため、描写も扁平なものとなっている。加えて、当然のことながら、ここで取り上げた知の建築物は、近代化の持つ影の部分をしっかりと備えている。実際、択伐施業や照査法に代表される現場の森林施業の観点からは、はた迷惑な虚構建築物でしかないであろう。しかしながら、一つだけ言い訳めいたことを言わせていただければ、これら先達達の姿の中に、何を省略し、何を強調し、そして、できるだけ単純なものを生み出そうとする「美学の心」を見ることができるということ、そしてその精神を20世紀のお土産として私は大切にしたいと考えている。

参考文献
(1) Hirata,T.: Height estimation through Bitterlich’s method –Vertical angle count sampling. 日林誌59 :479-480,1955
(2) 北村昌美:一致高和による林分材積の推定について、73回日林講:64-67,1962
(3) 平田種男:森林生産力資本説、林業経済197:6-12,1965
(4) 鈴木太七:遷移確率行列による収穫予定、日林関東支研発集、36-38,1959
(5) 箕輪光博:森林経理から見た世界、森林計画学会出版局、464pp、2004



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