学会における樹木生理研究の歴史


鳥取大学農学部造林学分野教授 山本 福壽



 (1)はじめに
  1919年(大正8年)から2013年(平成25年)までのほぼ100年にわたり、林学會雑誌、日本林学会誌、日本森林学会誌、およびJournal of Forest Researchに記載された樹木生理学に関係する研究論文、総説、解説、抄録などの記事数の変遷について、ほぼすべての目次を総覧することによってその歴史を概説してみた。樹木生理学の範疇は多岐にわたるが、記事の内容によって①栄養成長、②生殖成長、③生物季節、④種子と発芽、⑤形成層活動・幹の傷害、⑥光合成・呼吸、⑦酵素・物質代謝、⑧栄養生理、⑨水分生理、⑩無性繁殖・根の生理、⑪植物ホルモン、⑫大気汚染・酸性雨、⑬バイオテクノロジー、⑭総説・その他、の14のカテゴリーに分類してまとめた。カテゴリーが2つ以上にまたがるものについては、目的の核心を判断して分類した。学会が発足してから黎明期の生理学研究については、現在に比べて内容が初歩的であることは否めないが、研究の目的を尊重し、生理学の記事として取り上げた。また昨今では樹木生理学の世界にも分子生物学の台頭が著しいが、研究目的に応じ、あえて以上のカテゴリーのどれかに無理やり分類した。さらに学会大会の発表時に印刷された「日本林学会大会講演集」、「日本林学会大会発表論文集」、「日本林学会論文集」、「日本森林学会大会学術講演集」、および「森林科学」誌については、一部を除き、解析の材料とはしなかった。例えば審査制度のあった論文集を加えればさらに掲載件数は増えるが、あくまで学会誌のみを対象とした。したがって全体的にかなり恣意的な解析結果となった感があり、また誤りも多いように思うが、より精細な分析については他者のご尽力を期待したい。

(2)歴史的変遷の概観
  図-1は100年間にわたる樹木生理学関連の記事の変遷である。また図-2は、1945年の敗戦の年を一つの区切りとして、前後、5年ごとの平均の記事の件数の変遷を示したものである。生理の研究には戦前の1940年ごろと、戦後の1960年ごろに大きなピークがある。また1945年の敗戦を境に約5年間は極めて低調な研究状況であった。現在においては樹木生理学の記事数は長期にわたって減少傾向を示している。以下、研究史の一端を独断的に解説する。
   


(3)明期~戦前の研究
日本は1937年から泥沼の日中戦争に突入していった。そのころ、樹木生理学の研究は一つのピークを迎えている。なかでも形成層や樹幹の傷害応答に関する研究が数多くなされており(図-3)、例えば京都大学の尾中文彦による形成層活動やあて材形成における植物ホルモンに関する一連の研究(例:「 樹木の肥大成長と生長素の分布」 1942.24(7), 341-355)は、形成層生理の嚆矢であり、世界に先駆けて行われた研究である。さらには九州大学の原田盛重のウルシ生産に関する一連の研究も樹幹の傷害応答に関する黎明期の研究として特記したい。またこのころの樹幹の研究には松根油や樹脂の採取に関わるものも多く、物資欠乏の時代を反映している。
戦前は隆盛であった形成層の生理学は、戦後、一時期の空白を経て農林省林業試験場に引き継がれ(例:小谷圭司「インドール酢酸と低温処理がアカマツの形成層活動におよぼす影響」1975.57(4), 112-116)、今では日本木材学会(1955年設立)を中心に国際的な研究展開が行われている。
  戦中の生理研究でとりわけ興味を引いたのは、理化学研究所の仁科芳雄と九州大学農学部の佐藤敬二の共著による中性子の影響に関する論文(「中性子の林木種子におよぼす影響」1943.25(7), 313-320)である。内容は理化学研究所原子核実験室において、サイクロトロンで発生させた中性子を樹木の種子に照射し、発芽率や生育の異常、奇形の発生などを調査したものである。仁科は著名な原子核物理学者であり、広島、長崎で原子爆弾投下の確認を行った日本の原子力の父とよばれる人である。当時、原子核物理学は原爆の開発につながった最先端の科学であったが、それが樹木生理の世界にまで及んでいたことは大きな驚きであった。

   


(4)戦後の隆盛期から今日まで
   1945年から5年間は林学における研究がもっとも停滞した時代で樹木生理学も同様であった。ところが1950年代の戦後の復興期には、木材需要の急増とともに拡大造林政策が推進され、これにともなって育苗に関わる種子の発芽生理や、栄養繁殖に関連する研究報告が急増した(図-4)。また成林を促進するような無機養分や窒素代謝などの栄養生理学的な研究も、苗木生産に関する研究にやや遅れて隆盛となった。同時に栄養成長や生殖成長に関する研究も盛んに行われた(図-5)。この時期における研究では、樹木の花芽分化におけるジベレリンの役割など、生殖成長に関わる多くの新しい発見があった(例:橋詰隼人(鳥取大学)「ヒノキおよびローソンヒノキの花芽および花性分化に及ぼすジベレリンの影響」1959. 41(11), 458-463)。このような育苗や育林への応用という明確な目的意識を持った生理研究のスタイルは、造林面積の縮小にともなってやがて変化していった。

   

 物質生産に関わる光合成と呼吸、および蒸散や水ストレスなどの水分生理に関する研究は、より基礎的な研究カテゴリーに属する。これらは戦後、恒常的に行われてきたが(図-6)、精度の高い測定機器が開発されるにおよび、現在では最も活発に研究が進められている分野である。
 一方、生物季節に関わる研究では、日長、温度などの環境因子とサクラの開花前線やマツ属のフォックステイル現象との関係が明らかにされるなど、高価な測定装置に頼らない観察と測定を中心とした研究においてもユニークな発見が行われた(例:万木豊 ・永田洋 (三重大)「マツ属のフォックステイル形成機構の解明と,その人為的誘導について」日本林学会大会発表論文集1991. 102, 5-8)。
大気汚染や酸性雨の影響については、1968年(昭和43年)に大気汚染防止法が施行されるにおよび、発表件数の増加したテーマである(図-7)。最近、新たに近隣諸国における環境問題深刻化の影響が懸念されるようになり、森林学会のみならず、さまざまな研究分野で研究事例が増加している。
 学会大会においては、1959年に第1回目の「樹木生理学シンポジウム」が開催され、その後1981年の第17回まで続いた。さらに1982年には第1回「林木の生長機構研究会シンポジウム」が開催され、同研究会は現在まで続いている。また、今日では「樹木のストレスフィジオロジー」など、さまざまな課題によるテーマ別シンポジウムにおいて活発な研究情報の交換が続いている。

   


(5)樹木生理学研究の今
  樹木生理学の研究もまた、その時々の国内事情や国際情勢に翻弄されながら変遷してきた感がある。図-8は戦後復興期の多くの記事が掲載された時期(1954~1956年)の3年間と最近(2010~2012年)の3年間の樹木生理研究を比べたものである。戦後期の大会講演集に記録されている研究発表件数に比べて学会誌への投稿論文数は著しく多い。これに対して現在の大会学術講演集では多くの口頭、ポスターによる樹木生理学に関する研究成果が発表されているにもかかわらず、森林学会誌とJournal of Forest Researchに掲載される記事は極めて少ないことがわかる。これは(1)樹木生理学研究が産業発展に寄与するための研究という性格を脱し、基礎生物科学としての色彩が濃厚になってきた、(2)専門分野に特化した国際的なジャーナルの増加、(3)インターネットや移動手段の発展にともなう国際的な研究展開、などが原因として考えられよう。森林学会誌は、社会科学、自然科学、生物生産学、工学などさまざまな研究カテゴリーが「森林」という括りの中で同居しているブイヤベースのようなジャーナルである。多くの樹木生理学研究者の考えを忖度すれば、森林学会大会を情報の公開、交換、および論議のためのサロンとしては活用するけれど、論文を掲載するジャーナルとして森林学会誌を選択しようという意思は希薄になってきているのではなかろうか。

   



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