森林生態学~森林生態系の科学 ~


京都府立林業大学校校長(国民森林会議会長) 只木 良也



 生態学がドイツ人HEACKELによって、Ecoすなわち生計・生活・すみかに関する生物学の一分野として位置づけられたのは1866年、そんなに古い昔ではありません。彼が生態学に与えた定義は「生物と外囲および共生者との関係を論ずる学問」でした。「生物と外囲(環境)」の基本的な考え方は、1935年のイギリス人TANSLEYの“ecosystem”に集大成されました。それは「あるまとまった地域に生活する生物のすべてと、その生活空間を満たす無機的自然(非生物的環境)とが成す一つの系(システム)」と定義されています。
 ところで1935年といえば昭和10年、以降10年ほどの間は、日本は世界相手の戦争中で、外国からの学問情報は断絶の時期でした。1945年終戦、どっと流入する国外情報の中にecosystem もあり、それは1949年に今西錦司博士により「生態系」と訳されました。「生態系」は今やポピュラーな言葉となり、生態学とは「生態系の科学」と集約されるほどです。
 太平洋戦争終結後、生態学は普及し始めます。しかし、私が大学を卒業する昭和30年代初め頃でも、生態学という言葉を知っている人はまだ少なかったのです。「専門は?」と耳鼻咽喉科の医者に問われて、「生態学」と答えたところ、「声帯学?」と問い返されたことがありました。生態学の語が一般化したのは、皮肉なことに公害という名の環境汚染が顕在化した昭和40年代でした。「生物と環境」を扱うことを標榜する生態学は、公害の特効薬、世直しの学問の如くに脚光を浴びることになったのでした。
 さて、林学会・森林学会が扱う森林という樹木の集団、それはまさに生態系であり、その生物活動状況とその長年の蓄積成果を知るのは森林学の主課題の一つです。その課題に迫るには、「生物と環境」を扱う生態学の考え方と研究手法が大いに役立つはずです。したがって、森林・林学の分野で、生態学的な視点での研究の歴史は古く、それらが集積されて、森林管理体系などの組み立てに貢献してきました。例えば遷移という生態現象、それは植生が自然に移り変わり、生態系が完成されてゆく過程ですが、目的とする木材を得るまで自然の遷移のままなら何百年も必要な時間を数十年に短絡しよう、そのために生れる自然界からの抵抗を軽減しながら、目的木材を効率よく生産するのが人工林技術だといえますが、それには生態学的視野が不可欠です。わが国ではそれに生態学の名を冠することは戦前にはほとんど無かったのですが、ドイツあたりでは、「生態学に基づいた」といった副題をつけた林学の教科書がありました。
 戦後の復興期、国土緑化・拡大造林の進渉と併行して、生態学の認知度も高まってまいります。そして、昭和30年代から、森林の現存量や光合成生産量を把握しようとする生産生態学の分野が大進展する時期に至ります。林業の主目的生産物である木材だけでなく、その木材を生むための森林自体の生物の量や有機物生産量、その生産構造を実測し、数値で表し、説明しようとするものでした。
 例えば森林が保持している葉の量の計測、それは古くは森林への降水を遮断(蒸発)するものとして水源涵養の観点から求められてはいましたが、生産生態学としては光合成の直接の担い手としての重要な意味を持ちます。さらに林内での葉量の垂直的分布は、投下される太陽エネルギーの吸収効果に関係し、幹枝など非同化器官の生産に対応する生産構造要素として重要です。さらにその結果としての光合成による有機物生産は、森林の存在そのものです。各種森林の葉量と純生産量の実測・推定は、1950-60年代日本全国各地で大盛況でした。なお、純生産量とは、ある期間内の光合成の総量(総生産量)から呼吸による消費量を差し引いたもの、実際に生物体として生産された量のことです。
 日本各地でこの種の実測が進み、多くの実質的なデータが集積されました。そんな時期に始まったのが、国際生物学事業計画International Biological Program-IBPでした。IBPは、人口急増により地球の扶養力が憂慮されるに至り、食糧を始めとする各種生物資源の量と生産力を把握することを中心課題として1964年に国際学術連合会議ICSU主導で発足、世界60カ国が参加した国際事業で、地球上の各地の様々な生態系における生物群集の生産力を調査研究し、生物資源の有効な利用の方途や開発の可能性を追求するものでした。わが国では学術会議が主導、文部省が特定研究「生物圏の動態」を組んで対応、参加研究者数は600人という大プロジェクトで、1972年まで継続しましたが、その中で森林の生物量と生産力の測定は大きな課題でした。この課題については、わが国にはすでにかなりの経験・手法と資料蓄積があり、世界各地の統一的手法で進める調査をリードしました。
 IBP期間中、国内では熊本水俣の照葉樹林、長野志賀高原の亜高山針葉樹林をメインとし、その他数種の特徴的森林が、また国外ではマレーシア・イギリスとの共同研究としてマレーシアの熱帯多雨林が調査対象となり、林学会会員もかなり大人数が参画しました。
 IBPは、迫りくる食糧始め各種生物資源の危機に対応するものでしたが、その国際活動は続いて、人間活動活発化に伴い急速に進行し危機感を増す環境問題の対応の色を濃くした人間と生物圏計画Man and Biosphere-MABへと事業継承されました。この計画の森林関係でとくに重要なのは、生態系の生物多様性の重視と、生物圏保護地域の設定でした。
 さて、IBP終了時までの約20年間に集められたわが国の森林の現存量・生産量のデータはわが国の主要な森林をカバーして豊富で、樹種・生活型別の林分葉量、純生産量の概数を示すことが可能となりました。純生産量を林分葉量で割れば葉の生産能率が求まりますが、縦軸(対数目盛)に葉の能率、横軸(普通目盛)に林分葉量をとってグラフにすると図-1となりました。林分葉量が多い林(常緑針葉樹林)では葉の能率が悪い、逆に林分葉量少ない林(落葉樹林)で葉の効率は良い、そしてその中間(常緑広葉樹林、マツ林)、と大分け出来ますが、葉の能率が低いということは林分としての生産量が小さいということではなくて、その逆、常緑針葉樹林のような葉量が多い森林の方が、多葉量が低効率をカバーしてその林分全体の生産量は大きいのでした。この図は、盛んだった森林生産生態学の成果を集約した一つの象徴といっていいかも知れません。なお、この期間のこの分野の話題については、次の書に概要を記しております。只木良也「I.4.森林の現存量と物質生産」-大政正隆監修・帝国森林会編「森林学」:63-83.共立出版.1978.
 
図-1 森林の葉量(WL)と純生産に対する葉の効率(EL)のまとめ(只木1978を改訂)



 もう一つ、林業に大きく貢献したものとして、同種個体群を扱う生態学の分野での、林分密度管理の問題を挙げたいと思います。
 1950年代、吉良龍夫博士の研究チームは、植物集団の生育密度と生長の関係を簡単な数式 (密度効果式)で示すことに成功、併行して、生育段階が進むにつれて減少する最多密度限界の線(自然間引き線)を見出しました。
 これらは草本を材料にして発見されたものでしたが、木本でも密度効果現象は同じ法則を持つことが実証されたうえで、人工林の密度管理(植栽から伐期に至る間の立木本数管理)に実用化されました。林分密度管理図です。この図は、立木本数に対応した林分蓄積を樹高階別(=生育段階=立地ごとの林齢)、最多密度に対する相対的立木密度度合いなどを表示するもので、スギ、ヒノキ、カラマツなど主要人工林樹種について地方別に作成されて実用化、林分密度管理の計画・間伐の実行に大いに貢献しました。
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 生態学は、関連する他の学問分野とも共通性・相互融通性を持った学問であるので、その活動応用範囲は広範囲に及びます。森林・樹木関係としても、例えば植生図作成の基礎となる植物社会学、現在の世界的大課題である生物多様性維持のための保全生態学、更新・森林管理の基礎となる生態系完成過程(遷移)の解析、生態系が提供・維持してくれる諸環境の研究など、生態学的研究は大いに貢献してきました。それらの林学会・森林学会の中での成果にも言及すべきですが、何分広範囲に及びます。残念ながら、本稿では筆者が関与してきた限られたテーマの紹介のみとさせていただきました。悪しからず。


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